司法書士事務所で働き出して2年ぐらいの頃
サービス付き介護付き住宅に入っている母の容態が悪化して行ってました。
病院の入退院を繰り返すようになり、その頻度が多くなり・・・
母と、これからのこと、いっぱい話しました。
母は、もう、自分の寿命が来てる、と感じているから
話せるうちに、わたしに、話しておきたかったんだろうと思います。
「お母さん、もう、長くないから。
だから、まめちゃん
お母さんに、もしものことがあっても
悲しまんといて、欲しいねん。
もう、お母さんに、
色んなこと、せんといて欲しいねん。
もう、あっちの世界に行こうと思うねん。
夢でな
男前の人が、手をさしのべてくるねん。」
色んなこと、せんといて・・・とは
延命措置と思われる全てのこと。
人工呼吸器やら、手術やら・・・
わたし「わかった。
施設の人が、聞いといて、と言うてるから、聞くけど
お母さん、最期は、この施設で迎えたい?
それとも、お父さんが逝った〇〇病院で、迎えたい?」
母「〇〇病院で、逝きたい。」
父が、病院で、最期、息をひきとるとき
母は、父の手をずっと握ってました。
父は、目の前で、全然、苦しまず、安心したように
ス~っと息をひきとりました。
母は、その記憶があったから、
父と同じように、その病院だったら
苦しまず、ス~っと父のところに逝かせてもらえる
と思ったんだろうと思います。
わたしは
もう、わずかしか母と一緒にいる時間がないなら
残りの時間を母と過ごそうと思い
司法書士事務所のお仕事を辞めることにしました。
母の希望を聞いたあと
その足で、○○病院に行き
「母に何かあったとき、救急搬送を受け入れてもらえますか?」
と、主治医に話しに行きました。
何十年もお世話になってる病院です。
快くOKして頂いたけど条件がありました。
平日の救急搬送受け入れ可能時間に限る、と。
結局・・・
2か月後、母は施設で容態が悪化し
施設から、「救急車、呼びます。」と連絡があって
平日のお昼ごろです。
当然、事前に受け入れを打診していた○○病院に、運ばれるものだと思っていたのですが・・・
施設が、○○病院に、救急搬送の受け入れ要請の電話したら
病院「現在、コロナのため、一切の救急搬送の受け入れを断っています。」
との、返事。
受け入れてもらった病院は、急性期の病院。
病院の救急でのお部屋で、すぐに処置される先生に
「ずいぶん、弱ってるし、ご高齢ですが・・・」
・・・言いたいことは、わかりました。
「延命措置は、しません。
点滴等の処置は、OKですが、人工呼吸器などは つけないで
出来るだけ、自然のままで、お願いします。」
先生も、まあまあ年齢いってる人だなぁ~
この人、もしかしたら、院長先生かな?
その隣で、ちょっと離れたところに
ボード持って、若い先生も、ついてるなぁ~
新人さんかなぁ~?
そうこうしてるうちに、点滴してるだけなのに
母が、少し元気になって来たのか
わたしの手を握る力が強くなってきて
「あれ? もしかしたら、元気になってきた?」
と声をかけると、頭をうんうんとタテに振り
なんだ、良かった~♪ と思って
少し明るくなって、帰りました。
でも・・・
コロナ禍です。
一旦、入院してしまった母には、会えません。
病棟には、入れない・・・
不安な数日を過ごしていたら
若い方の先生から、電話がかかってきて
「肺炎は、よくなってきました。 脱水症状が、強いので、少し太い点滴にします。」
と思ったら また数日後に
「誤嚥をするので、食事が取れず、鼻からチューブを入れて、栄養を補給します。」
「え?鼻からチューブを入れても、いつか、自分でご飯が食べれるようになるんですか?」
「それは、わかりません、回復する人も、回復しない人もいます。」
また数日後
「貧血のようですので、輸血しようと思いますが。貧血の原因を調べる検査しますか?」
割と、マメに電話を頂く。
・・・ ん?検査?
「先生、延命措置はしません、と、お伝えしたはずですが・・・」
「あれ?出来る限りの延命措置をすると、伺ってますが・・・」
もしかして・・・あの院長先生っぽい人、耳遠いんかぁ~??
全然、反対に聞いてはるやん・・・
「輸血、しないでいいです。 貧血の原因わからないままで良いです。」
わかったところで、どうせ、何も出来ない。
おなかに、まあまあでかい大動脈瘤持ってる上に
十二指腸にポリープもある、良性か悪性かわからない
いつもの病院なら、全てわかっている内容なのに・・・
調べたところで、手術に耐えられる年齢でもない体力もない。
そして、また数日後
「入院日数が長くなってきました。
ここは急性期の病院ですので、転院をして頂かないといけないです。」
そして、また数日後
「酸素をいくらいくら、吸入します。」
・・・ う~ん、なんか、色々やらはるけど
よくわからないけど、これって延命措置?
そんな状態で、転院、出来るのか?
そして、また数日後
「転院先、見つかりました。 いついつに転院してもらう予定です。」
転院の日
母を迎えに朝一に病院に行きました。
待合室で待って、介護タクシーの方の車椅子?ストレッチャー?のようなのに
乗せられて来た久しぶりに再会する母は・・・
びっくりするほど、痩せこけていて
鼻腔の入り口は血の塊がついてて、その中をチューブが通り
頬には、青たん、鼻の上の方の目に近いところは
ケガしたのか引っ掻いたような傷があり
腕にも青たんが、たくさんあり、
たぶん、縛られていたんだろうと、伺える様相に
びっくりしてしまいました・・・
母、大人しい人だし、暴れるような人じゃないんだけど・・・
複雑な気持ちでした。
でも、もしかしたら、母、自分でチューブ抜いたり
点滴を抜いたり、したのかも知れません。
辛くて苦しくて、しんどかったから。
早く楽になりたいのよ、こんなこと、しないでよ
色んなこと、せんといてよ、て伝えたはず! という
母の意思があったのかも知れません。
ごめんね、お母ちゃん
なんか、ここの病院の先生には、うまく伝わらなかったの。
退院手続き等、済ませて
母は、介護タクシーで、
わたしは、その後を車で追いかけ
転院先の病院へ移動。
母と、転院先の病院の待機部屋で、
また、いつ会えるかわからない母を触っていたくて
母の頭なでながら、細い手を握りながら、入院の準備が整うのを待っていました。
母は、ずっと辛そうに、首を横に振っていて
息も苦しそうで、わたしの顔を見て、
ずっと何か言いたそうにしていました。
母も、やっとわたしに会えたと思っているんだろうな・・・
今のタイミングだ!! と思ったのか
自分で、おもむろに、マスクはずして
弱々しい声だけど、たぶん、渾身の力を振り絞って
「まめちゃん、早く逝きたい・・・」
と言いました。
ス~ッと息を引き取りたい、と思い描いていた
希望していた病院にも運んでもらえず
救急搬送された別の病院で、希望していないのに
色んな管に繋がれ、嫌だ、と抵抗したら、縛られ
(わたしの勝手な想像です・・・汗)
娘に会いたいと思っても、コロナで拒絶され
1ヶ月半の間、一人ぽっちで、もがき苦しんだのか・・と思うと
(あくまで、わたしの勝手な想像です・・・)
涙がぽろぽろ出て来て
「ごめんなぁ~、しんどいなぁ~、つらいなぁ~・・・」
と言う言葉しか出て来ませんでした。
その後、診察室に呼ばれ
先生に色々、聞こえたのか察したのか
「病院はね、治療するところなんですよ・・・」
・・・はい、楽に、逝かせてくれるところじゃ、ないですよね・・・
「もう、大往生ですもんね。
苦しまずに、楽に・・・ということで、いいですね。」
あら、この先生、 話しのわかる先生かも♪♪
「鼻のチューブ、取りますね。」
「はい、お願いします。」
色々な書類を書いたり、説明を受けたりして
その間、母の病室から、わたしの様子が見えるからか
母はず~っと、こっちを見ていました。
なんか、やっぱり、わたしに伝えたいことあるのか?
ちょっとだけ、病室に入れてもらって
母に色々話しかけるも、ただただ、ぱっちりと目を開けて
わたしの顔をじっと見るだけで・・・
看護師さんから
「そろそろ、もう、よろしいですかね~。」と声をかけられ
「お母ちゃん、そろそろ行くわな~、今はコロナ禍やから
会いたくても、なかなか病室に顔出されへんけど・・・」
わたしが、部屋を出て行くときも、ずっと
やっぱりなにか言いたそうにこっちを目で追いかけてる。
不安なんやろうなぁ~・・・
病院に泊まったろか!!!!
そんなこと思いながら
家に帰って来てしまったけど・・・
今も気になって仕方ない。
きっと、今頃は、色んな管、外してもらって、自由になってるんやろうなぁ~
あたしが、そばにいてて、ずーっと頭なでながら、よしよししてたら
母、安心するやろうに・・・
数日後
母の病院から、電話あり
「お母さまの呼吸が浅くなっています。」
「わかりました、すぐに向かいます。」
とうとう来たか! と車ガンガン飛ばして
バタバタ母の病室に入り
「お母ちゃん。お母ちゃん」と声をかけてみる。
目は開いているけど、こっちを見ようとしない。
やたらと、頭撫でてみる。
反応がない。
息は、はぁ~はぁ~ とは言うてるけど・・・?
「呼吸が、安定してきました。」
あ、そうなの?
「しばらく、病室におられても結構ですが、
コロナの時期ですので、10分まででお願いします。」
出たっ!コロナの時期!!
なんでもかんでも、コロナの時期!!
こいつのせいで、施設でも病院でも思うように会われへん!!
あたしは、なんのために、仕事辞めたんな!!
「でも、小康状態ですので、いつ、どうなるかわかりませんので。」
とりあえず、何があっても、すぐ駆け付けられるように
近場のビジネスホテルを取って、そこで待機。
・・・していましたが・・・
朝まで、病院からは連絡なし。
9時ごろ、また病院に顔を出す。
「血圧も脈拍も、安定してきましたので、一旦、おうちに戻られます?」
「そうですか。 では、そうします。」
結局、その日は、病院から、連絡がありませんでした。
朝から、行かないといけないところが、数か所あるので
バタバタこなし
まだ、連絡けえへんなぁ~、と気にしながら
結局、夜になり、晩御飯を食べ・・・
家族が、のんびりし始めたころ
病院から電話。
「血圧も脈拍も急激に下がって来ました。
先日、ご主人さまが、夜だったら、すいてるので、車で40分くらいで来れる、とおっしゃってましたが、40分くらいで、来れますか?」
旦那への心の声
・・・あの野郎~”(-“”-)”
「無理です、40分では、行けません。
どれだけ、すいてて、車飛ばしても、1時間はかかります。」
「わかりました、もし、到着された時に、すでに息を引き取られていた場合は、ご了承ください。」
・・・はい、案の定でございました。
病室に入ったときは、もう、心臓は止まってて、息もしていませんでした・・・
息子は、ハンカチで目を押さえながら、すすり泣いてましたが・・・
わたしは、涙、一滴も一粒も出ませんでした・・・