葬儀屋さんの車が到着するまでの間
病院の霊安室で、見る母の顔は
ただ、眠ってるだけみたいな安らかな顔で
頬もピンクで(看護師さんが化粧した?)
「お母ちゃん」と声をかけたら、今にも起きて来そうな
そんな生気ある顔でした。
無意識に、母の頭を撫でまくってて
「せっかく、髪もキレイにしてもらってるのに
そんなナデナデしてたら、あかんやろ。」と
旦那に言われ
あ、そうか。
と、慌てて手を離したけど、手持無沙汰・・・
周りを見たら、今は、なんでも、電気なのね~
ロウソクの形をした電気。
お線香の形をした電気。
スイッチがあるよ。
あたし、意外に冷静?
取り乱すことも、ワンワン泣くこともなく?
・・・というか、今、やっと母のそばに居れてる、と思ってる?
自分の気持ちがよくわからず
その日は過ぎて行きました。
翌日
色々な書類やら手配やらお金のことやら、あっと言う間で、
母のことをゆっくり考えることもなく
家族葬という形にして
生前、母と親しくして頂いた方もいらっしゃるので
その方たちだけは、お声をかけさせて頂いて結構です、ということにしました。
入り口で、参列して下さる方たちを
お迎えして、色々な方たちとお話しさせて頂きました。
母の印象やらエピソードを
みなさん、色々教えてくださいます。
「可愛い人だったよ!」
「面白い人だったよ!」
「励ましてもらったよ!」
「たくさんの人に愛されてたよ!」
「いつもお菓子くれたよ!」
・・・おぉっ! 母、可愛がられてる♪♪
そういえば、施設に顔出すたびに
母のテーブルや、ベッド回りは
たくさんのお菓子にあふれかえってて
「いったい誰が、こんなにお菓子を持って来てるの?」
と、思っていました。
そして、増え続けるお菓子に
「まめちゃん、こんなに食べられへんから
これと、これ、持って帰って。」
と、よく頼まれました。
妹の元旦那さんも、来てくれて
また、母とのエピソードに花を咲かせてくれます。
「前回、母が退院する時、施設に帰る途中
わたしに
『まめちゃん、ケンタッキーの肉、食べたい!!』
と言い出したんですよ~
90歳過ぎの総入れ歯の母
どこで、そんなファーストフードの食べ物の味、覚えたんやろー?
食べたい言うもんしゃーないから、
施設に帰る前に
ケンタッキーフライドチキンに寄って、買ってあげたら、
めっちゃ美味しい美味しい言うて喜んで・・・」
と言うエピソードを話したら
「あ・・・それ、僕らですわ(汗)
妹が、お母ちゃん連れて、買い物行ってたときに
『お母ちゃんに、ケンタッキーの肉、食べさせたい!』
と言うて、一緒に食べたんですわ~。」
なるほど!! 発覚しました。
ケンタッキーの味を教えたのは、妹夫婦やったのね~w
式が始まり・・・
なんと! 『故人の思い出』を皆さまの前で話して下さると
妹の元旦那さまが、申し出てくれたようで・・・
めちゃくちゃ、嬉しかったです~(涙)
心強くて面白くて頼もしくて話し上手!!
式、終わり間際
喪主挨拶
マイク持たされて、前に立ったら・・・
えーーーーっ?Σ(・ω・ノ)ノ!
家族葬に毛が生えたような式のはずなのに・・・
いつの間に、こんなにたくさん!!!!
急なド緊張でしたが・・・
なんとか、こなし
そして、献花。
母との最期の対面。
さっぱり、全然、涙、一滴も出ず・・・
そして、火葬場へ。
出てくるのは、1時間半後と説明を受けて
ひろ~い待合空間のようなところで
来て下さった方たちと、母の話題で、
盛り上がる盛り上がる
「お母さま、居なくなったのは、本当に寂しいですわ。」
「お母さまね、本当に面白い人だったのよ。」
まただ・・・
どういう風に、面白い人だったのか・・・
聞きたいけど・・・
・・・よう聞かんかった・・・(-_-;)
あっという間に、アナウンスが入り・・・
すっかり、母の姿形もない骨しかない状態の焼かれた元棺が出て来ました。
あら、もう、母は存在しない・・・?!
急に、現実を受け入れなあかん!状態に追い込まれ
頭の中がいきなり真っ白に!!
このオッサン(火葬場の案内して下さってる方)
何言うてんねんやろ・・
理解でけへん・・
やたらと、喪主さん、喪主さん、言うてるけど
な~んも理解でけへん
と、ぼーっとしてたら
周りの方が、わたしの傘、持ってくれたり
妹の元旦那さんが、説明してくれたり誘導してくれたり
色々、手助けしてもらい
納骨まで、辿り着きました。
母の入るお墓は、キリスト教の信者さんが
皆さんで入る共同のお墓です。
母の骨壺を持った牧師さんが下に降りて
「妹さんの横に、仲良く並べて置いときますね~。」
他の参列して下さった方が
「お父さんは?」
「お母ちゃんは、今頃、男前の男の人の手を取ってるやろうから、
お父ちゃんは、隣に並べなくていいです~」
・・・と、妹の元旦那さま
母・・・
みーんなに言うて回ってたんか・・・(*‘∀‘)
わたしの妹は、8年前に乳癌で、
そのあとすぐ、父は、脳幹梗塞で、他界しました。
母は、そんな環境の中で、週末には教会に行き
みんなに「○○さん、○○さん」と可愛がられ、愛され慕われ
晩年は、施設で生活して、
思うように教会に通えなくても、
誰かが、いつも話しに来てくれ
とても幸せな人生を送っていたんだなぁ~っと
感じられた一日でした。
わたしの心残りは・・・
あんなに母と話し合ったにもかかわらず
母の希望していた病院で逝かせてあげれず
父のように、苦しまず
楽に息を引き取りたかったはずなのに・・・
しかも、コロナで、全然、母に会えず
寂しい思いをさせてしまったことが
悔やまれて・・・
今でも、心に引っかかったままです。
そして・・・
結局、あたしは、まだ、一滴も、涙を流せていません。