50代後半のわたしの生き方
したい事やりたい事だらけの欲張りブログ
ひとりごと

母の死2

空

葬儀屋さんの車が到着するまでの間

病院の霊安室で、見る母の顔は

 

ただ、眠ってるだけみたいな安らかな顔で
頬もピンクで(看護師さんが化粧した?)

「お母ちゃん」と声をかけたら、今にも起きて来そうな

そんな生気ある顔でした。

 

無意識に、母の頭を撫でまくってて

「せっかく、髪もキレイにしてもらってるのに
そんなナデナデしてたら、あかんやろ。」

旦那に言われ

 

あ、そうか。

と、慌てて手を離したけど、手持無沙汰・・・

 

 

周りを見たら、今は、なんでも、電気なのね~

 

ロウソクの形をした電気。

お線香の形をした電気。

 

スイッチがあるよ。

 

 

あたし、意外に冷静?

取り乱すことも、ワンワン泣くこともなく?

 

・・・というか、今、やっと母のそばに居れてる、と思ってる?

 

自分の気持ちがよくわからず
その日は過ぎて行きました。

 

翌日

 

色々な書類やら手配やらお金のことやら、あっと言う間で、
母のことをゆっくり考えることもなく

家族葬という形にして

生前、母と親しくして頂いた方もいらっしゃるので
その方たちだけは、お声をかけさせて頂いて結構です、ということにしました。

入り口で、参列して下さる方たちを

お迎えして、色々な方たちとお話しさせて頂きました。

 

母の印象やらエピソードを

みなさん、色々教えてくださいます。

 

「可愛い人だったよ!」

「面白い人だったよ!」

「励ましてもらったよ!」

「たくさんの人に愛されてたよ!」

「いつもお菓子くれたよ!」

 

・・・おぉっ! 母、可愛がられてる♪♪

 

そういえば、施設に顔出すたびに
母のテーブルや、ベッド回りは
たくさんのお菓子にあふれかえってて

「いったい誰が、こんなにお菓子を持って来てるの?」

と、思っていました。

 

そして、増え続けるお菓子に

「まめちゃん、こんなに食べられへんから
これと、これ、持って帰って
。」

と、よく頼まれました。

 

妹の元旦那さんも、来てくれて
また、母とのエピソードに花を咲かせてくれます。

 

「前回、母が退院する時、施設に帰る途中

わたしに

『まめちゃん、ケンタッキーの肉、食べたい!!』

と言い出したんですよ~

90歳過ぎの総入れ歯の母
どこで、そんなファーストフードの食べ物の味、覚えたんやろー?

食べたい言うもんしゃーないから、

施設に帰る前に
ケンタッキーフライドチキンに寄って、買ってあげたら、
めっちゃ美味しい美味しい言うて喜んで・・・」

 

と言うエピソードを話したら

「あ・・・それ、僕らですわ(汗)
妹が、お母ちゃん連れて、買い物行ってたときに
『お母ちゃんに、ケンタッキーの肉、食べさせたい!』
と言うて、一緒に食べたんですわ~。」

 

なるほど!! 発覚しました。

 

ケンタッキーの味を教えたのは、妹夫婦やったのね~w

 

式が始まり・・・
なんと! 『故人の思い出』を皆さまの前で話して下さると

妹の元旦那さまが、申し出てくれたようで・・・

めちゃくちゃ、嬉しかったです~(涙)

 

心強くて面白くて頼もしくて話し上手!!

 

 

式、終わり間際

 

喪主挨拶

 

マイク持たされて、前に立ったら・・・

 

えーーーーっ?Σ(・ω・ノ)ノ!
家族葬に毛が生えたような式のはずなのに・・・

いつの間に、こんなにたくさん!!!!

 

急なド緊張でしたが・・・
なんとか、こなし

 

そして、献花。

母との最期の対面。

 

さっぱり、全然、涙、一滴も出ず・・・

 

 

そして、火葬場へ。

 

出てくるのは、1時間半後と説明を受けて
ひろ~い待合空間のようなところで
来て下さった方たちと、母の話題で、
盛り上がる盛り上がる

 

「お母さま、居なくなったのは、本当に寂しいですわ。」

「お母さまね、本当に面白い人だったのよ。」

 

まただ・・・
どういう風に、面白い人だったのか・・・

聞きたいけど・・・

・・・よう聞かんかった・・・(-_-;)

 

 

あっという間に、アナウンスが入り・・・

 

すっかり、母の姿形もない骨しかない状態の焼かれた元棺が出て来ました。

 

あら、もう、母は存在しない・・・?!

 

急に、現実を受け入れなあかん!状態に追い込まれ

頭の中がいきなり真っ白に!!

 

 

このオッサン(火葬場の案内して下さってる方)

何言うてんねんやろ・・

理解でけへん・・

 

やたらと、喪主さん、喪主さん、言うてるけど

 

な~んも理解でけへん

 

と、ぼーっとしてたら

周りの方が、わたしの傘、持ってくれたり

妹の元旦那さんが、説明してくれたり誘導してくれたり

色々、手助けしてもらい

 

納骨まで、辿り着きました。

 

母の入るお墓は、キリスト教の信者さんが

皆さんで入る共同のお墓です。

 

母の骨壺を持った牧師さんが下に降りて

 

「妹さんの横に、仲良く並べて置いときますね~。」

 

他の参列して下さった方が

「お父さんは?」

「お母ちゃんは、今頃、男前の男の人の手を取ってるやろうから、
お父ちゃんは、隣に並べなくていいです~」

・・・と、妹の元旦那さま

母・・・
みーんなに言うて回ってたんか・・・(*‘∀‘)

わたしの妹は、8年前に乳癌で、

そのあとすぐ、父は、脳幹梗塞で、他界しました。

 

母は、そんな環境の中で、週末には教会に行き

みんなに「○○さん、○○さん」と可愛がられ、愛され慕われ

晩年は、施設で生活して、

思うように教会に通えなくても、

誰かが、いつも話しに来てくれ

とても幸せな人生を送っていたんだなぁ~っと

感じられた一日でした。

 

 

わたしの心残りは・・・

あんなに母と話し合ったにもかかわらず

母の希望していた病院で逝かせてあげれず

父のように、苦しまず
楽に息を引き取りたかったはずなのに・・・

しかも、コロナで、全然、母に会えず
寂しい思いをさせてしまったことが

悔やまれて・・・

今でも、心に引っかかったままです。

 

そして・・・

 

結局、あたしは、まだ、一滴も、涙を流せていません。

ABOUT ME
endomame
今まで、色んな経験をしてきたけれど、50代後半、まだまだ挑戦し続けて、その軌跡を書いて行こうと、ブログを立ち上げました。